前回の記事を読む≪ 第1話 ≫
私は副作用の強い、致死量ぎりぎりの抗がん剤の治療と、
当時は最先端の幹細胞移植という治療を受けました。
治療が始まった当初は「こんなことで人生の時間を無駄に使いたくない」という苛立ちと
「なぜ、自分だけがこんな思いをしないといけないのか」という思いで、
色々な検査への恐怖、痛み、病気で自分の事さえ満足にできなくなる歯がゆさ、苛立ち、
何よりつらかったのは、父、母が痩せていく姿に申し訳ないという気持ちが強く、
平気なふりをして、明るく振る舞っていたように思います。
▲実際の診断書の写真。抗がん剤治療が始まり、全身の毛が抜けてしまい、毎日40度を超える高熱と戦う日々
抗がん剤の治療が本格的に始まり、無菌室での闘病生活は、
全身の毛が抜け落ち、全身のむくみと目からの出血、連日40度を超える高熱にうなされ、
目をそらしたくなる様な見苦しい姿になった時は、
さすがに笑顔を見せることができず、親の面会さえも断る時期もありました。
その時は、「死ぬのかな」という考えがいつも頭にあり、幻覚に幻聴といった精神症状も現れ、
うつ状態との診断で、先のことなどとても考えられるものではありませんでした。
半年間の治療後、5年間の再発率は70%、再発した場合の生存率は非常に低い、
そんな心と体の戦いの最中に、岩本初恵という第二の母と出会えた事が、私にとって最も運のいい出来事でした。
出会ってすぐに岩本から「人生の中の病気や様々な試練は、その人が乗り越えられるだけのものしかやってはこない、
そう考えると大きな試練が来る人ほど、天が期待してくれている人なんよ」と話してもらいました。
この言葉で私のガンの経験は、一瞬にして宝物になりました。
(第3話へ続く)